突然ですが、「沈黙の臓器」って聞いたことありますか?
病状が進行しても自覚症状が出にくいため、悪化しないと気づかないので、沈黙していると言われます。
私は大学生の頃、「沈黙の臓器」と呼ばれる卵巣にできた腫瘍のせいで、緊急手術を受けました。
人生二度とないであろう(あってほしくない)ほど強烈な出来事だったので、鮮明に記憶に残っています。
ここでは、術後10年以上経った今どうなっているかの一例として、手術前の経緯からお話します。
同じように卵巣嚢腫、子宮内膜症と診断され、手術を控えている方の参考になればと思います。
子宮内膜症【卵巣嚢腫の摘出手術】体験記 激しい痛みで救急車も
くり返す激痛の正体は“茎捻転”だった!
いまから10年以上前、大学の卒業を控えていた1月ごろです。
友人たちとの卒業旅行や、バイトからの卒業でもあり、そして社会人デビュー間近かという、人生の節目を迎える時期でした。
そんな日々を送る中、あるとき突然下腹部に激痛が走ったのです。
キリキリと刺すような痛み、おなかを抱えて歯を食いしばってじっと耐えるしかない痛みです。
位置はおへその下あたりです。
就寝中になることが多く、治まるまでには1時間ほど。
それも一度だけではありませんでした、治まっても忘れた頃にまた起こる、を何度か繰り返しました。
翌日は歩くことはできるものの、その振動でお腹の中にひきつれるような痛みを感じていました。(あれでよくバイトに行っていたと思います…)
こんなことを3ヶ月足らずの間に3~4回は繰り返していました。
あるときは卒業旅行から帰ってきた日の夜になってしまい、「旅行中じゃなくてよかった」と痛みに耐えながら思ったことも覚えています。
当時は実家暮らしでした。
なぜ家族に言えなかったんでしょうか。
心配かけさせたくなかった、そのうち治るはず、弱い自分を認めたくない、なんていろいろな思いがありました。
そんな意地を張っていても、ついに我慢の限界を迎え、家族に訴えることになりました。
近所の胃腸科に連れて行ってもらい、腹部の触診と腹部エコーから「卵巣が腫れている」との診断を受けました。
ふつう2cmくらいの卵巣が8cmくらいになっていたようです。
※ちなみに胃腸科にかかる前にトイレに行ってしまったので、一回目のエコーでは臓器が良く見えなかったようです。一度帰宅し、大量に水を飲んで膀胱を膨らませてから、再度受診しました。
すぐに紹介状を書いてもらい、数日後に総合病院の婦人科へ。
そこで確定した診断名は子宮内膜症から来る卵巣嚢腫(良性の腫瘍、つまり腫れ物)
子宮内膜症とは
本来、子宮内にしかない子宮内膜問組織が子宮の外に出て、そこで卵巣や腸にはりついてしまう。
その後子宮内膜から出血が起こり、臓器の癒着や卵巣内で血の塊ができてしまう病気。
この結果卵巣に嚢胞という袋ができ、腫れあがることを卵巣嚢腫という。
繰り返す痛みは腫れた卵巣が捻転を起こしかけているから。
「(茎)捻転」とは腫れ上がった卵巣が子宮につながる管の部分からくるっと回転(ねじれ)してしまう状態。
完全にねじれたんじゃなく、ねじれそうに動いたというだけだったようです。
なのにこの痛み。
(マジか…)
と絶句。
しかし、同時に納得した部分もありました。
あの痛みは生理痛とも食あたりとも違って、かつて経験したことのないものだったから。
こうして治療に向けた方向性が決まったのでした。
ホルモン治療、未遂に終わる 救急搬送~開腹手術
ところが、本当のおそろしい痛みはこのあと襲ってきました。
総合病院ではまずMRIの予約をとってホルモン治療を開始しましょうということになりました。
ホルモン治療とは
内服によって閉経した状態にするか、妊娠した状態にするかして、卵巣ホルモンの活動を抑えるやり方
不安を抱えながらも、とりあえず病名も判明したし、先生に任せようと思っていたその矢先、
突然、それは起こりました!
その二日後の深夜、私の腫れあがった卵巣は嵐の前の静けさをやぶって、私を絶望とかつてない大激痛の渦に放り込んだのです。
激痛は今までの何十倍、何百倍にも達しました。
お腹の中が鋭利な刃物でめった刺しにされているような痛みです!
まず、息ができない。
うめき声すら出ない。
が、強烈な吐き気。
全身は痙攣するように震え、
滝のように流れる汗。
同室で寝ていた妹が異変に気づき、すぐに救急車を呼んでくれました。
このとき、今でもはっきり覚えているのですが、私の頭の中にはひとつのイメージが何度も繰り返されていました。
キッチンに行って、包丁を取ってきて、自分の首に突き立てたい…
自殺願望と言うより、この痛みから解放されるなら、すぐにでも死にたい
そんな状態です。
救急隊員に家の外にまで負ぶってもらい(これもまた痛い)、担架に乗せられ、人生初の救急車へ。
痛みのピークはやや過ぎていて、質疑の受け答えもなんとかできました。
夜間救急も受け付けている別の市立病院へ搬送され…
当時、救急患者のたらいまわしがニュースになっていた時期もあり、すんなり受け入れてもらえて本当に助かりました。
待ち受けていた女医さんは優しく丁寧に、問診、触診きっちりやってくださって、
その結果、翌日に緊急手術となりました。
脊椎麻酔が超絶痛かった開腹手術 卵巣に穴が開いていたことが判明
術式は開腹手術(内視鏡ではない)、傷跡が残ることも説明を受け、デリケートゾーンをきれいに剃られ、手術室へ運ばれます。
次に手術台へ。
ベッドからベッドへ移動する感じで、全部看護師さんたちが手伝ってくれました。
準備できると数人の先生たちが入ってきます。
私に話しかけてきたのは麻酔科の先生でしょうか。
まず、脊椎麻酔注射をして、それから全身麻酔をするとのこと。
脊椎麻酔…
書いて字のごとく、脊椎に注射する麻酔です。
卵巣嚢腫と診断されてからネットでいろいろ調べ、手術になった場合すごく痛いと書いてありました。
横向きに寝かされ、ちょうどへその裏側あたりにアルコール綿らしきもので拭かれたあと、
ぶすっときました。
これはキョーレツに痛い!!
骨にズシン…とひびく痛みでした。
(汚い話で申し訳ありませんが、当時腫瘍のせいで非常に便がゆるくなっていたため、この痛みへの踏ん張りで、すこし出ていたんじゃなかろうかと、いまでも思うことがあります)
そして、仰向けにされ、口に呼吸器のようなものがつけられ、
「10数えてください。眠くなりますから」
とのこと。
(どうしよう、もし、ずっと意識が残っていて、
それに気づかずに手術が始まっちゃったら…)
これは誰しも考えると思います。
考えて不安になりながらも、とりあえず言うとおりに、
いち、
に、
さん、
よ…
ここで、私の意識はぷっつり途切れます。
よん、までは数えていないと思います。
おぼろげに、断片的に意識が戻るのは、手術室から運び出されるときです。
なんとなく両親がいたような、そんな程度です。
術後、先生からの話によると、卵巣に穴が開いていて周辺臓器への癒着がひどく、結果的に卵巣ごとを全摘出したとのことでした。
そうなのか。まあ、もう一個あるし、いっか。
というのが当時の心境です。
むしろ、あの夜の痛みは捻転だけでなく、穴が開いたせいなのだと納得です。
入院中は暇で死にそうになる
手術を終えて数日は、鼻に酸素を補助的に送る器具があてがわれ、腕には点滴、尿管から直接尿を流すためのチューブが取り付けられていました。
腹部の縫合部分がずきずき痛むこともあり、看護師さんに訴えると座薬を入れてくれました。
座薬は、挿入時は不快感ありますが、即効性があるのですぐに楽になれます。
やがて、流動食になり、尿管のチューブも取れ、自分で起き上がれるようになりました。
6日目くらいには、シャワーを浴びることが許可され、服を脱いだときに初めて自分の傷口を目視しました。
まさにフランケンシュタイン(古いけどイメージは伝わるはず)。
真っ先にあんな感じが頭に浮かびました。
今なら画像検索すればすぐ出てきますね。
でも、そんな縫い目が自分の腹部にあったらと想像してみてください、けっこうショッキングです。
ほんとに、一瞬、意識が遠のいたのを覚えています。
そしてこの頃、私が何に一番辛かったかと言うと、
暇、何もやることがないことです。
緊急だったため何の準備もしておらず、両親は共働きで時々着替えを持ってきてくれたくらい、今ほどネット環境も整っていなくて、携帯電話は院内使用禁止、テレビは有料、休憩室の雑誌は全然面白くない。
ちなみに、入院中に大学の卒業式は終わっており、自分が卒業できたかどうかの学籍番号の確認は、友人にやってもらいました。
医師から、
「だいぶ良くなってきましたね。できればあと数日は入院していたほうがいいんですけど、どうします?」
とお話があった際、
「必ず家で静養しますので、可能ならすぐ退院したいです」
と必死に懇願しました。
先生も苦笑いしながら承諾してくださったので、念願かなっての退院となりました。
退院後は傷口が痛む 娯楽は大敵(笑)
ところが、退院後に私を苦しめたものもありました。
それは、娯楽です。
体力がなかったので基本的に家で横になっているのですが、テレビの娯楽番組、特に『トリビアの泉』が面白すぎて、
爆笑→傷痕が痛む→うめく→でも、笑いをこらえきれない→痛む→うめく
このエンドレスが、私を苦しめました。
涙もにじみましたが、それが笑いのせいか痛みのせいか、もはやわからず。
これで傷口が開いたらどうしようと、笑いながらめちゃくちゃ焦ったのを覚えています。
その後、十数年が経過した現在 生理痛は改善したけど“癒着”の痛みが続く
手術前後で大きく変わったことがあります。
もともとかなりひどい生理痛の持ち主でした。
手術前は生理が始まると痛みが強く、鎮痛剤を飲んでもなかなか効かず、うめきながら横たわることはしょっちゅうでした。
今思えば、10代の頃から子宮内膜症や卵巣嚢腫の片りんがあったのかもしれません。
それが、劇的に楽になりました。
生理痛はありますが、動けなくなるほど痛くはないし、薬もちゃんと効くようになりました。
その後は、正常な女性と同じような日々を過ごし…
ちょうど10年ほど経ったときです。
毎月、一定の期間だけ、なんとなく下腹部に違和感がある。
それも、手術をした方の側がシクシク痛むようなかんじです。
生活に支障もなく、違和感がなくなるとそのことを忘れてしまうので、特に病院にも行かず一年ほどそのままにしていました。
あるとき、風邪を引いたので近所の内科にかかったところ、下腹部痛のことを思い出したので医師に相談してみました。
「その痛みは月経時と関係ありませんか?」
そう言われてみればそうでした。
あまりに微弱な違和感だったので、生理と関係あったかどうかも覚えていなかったくらいです。
その後あわてて近くの婦人科へかかり、採血やエコーなどで診てもらいましたが、異常なしでした。
漢方も出されましたが、特に効果も感じず、断念。
投薬無しで経過観察になりました。
「手術後の癒着かもしれないわねぇ」
とベテラン先生は言いました。
癒着とは
手術した臓器の組織がほかの臓器とくっついてしまうこと。どの手術にも起こりうる。
手術の傷がほかの器官と接触したまま治癒していくので、一体化してしまう。
月経周期の時にこのあたりが活発になり、そのせいで痛みを生じるのではないかとのこと。
癒着を直すことはできないため、痛み止めを飲むしかない。
それから数年を経るごとに、生理痛とは違う、形容しがたい下腹部の痛みは徐々に強くなっていきました。
加えて、膀胱炎のときのような、排尿痛もひどくなりました。
ベテラン先生が引退されてしまったので、現在は別の婦人科にかかっていますが、そこでも詳しい検査をして、異常なしと言われています。
痛みの原因は、やはり癒着だろうとのこと。
幸い、痛みにはロキソニンが良く効いてくれます。
(逆に、ロキソニン以外、市販薬はまったく効きません)
その後先生と相談し、低用量ピルの服用も始めました。
からだを妊娠状態にさせて、排卵を起こさない(生理を起こさない)ようにするホルモン治療です。
子宮内膜症の予防ということであれば保険適用にもなります。
ジェネリックのものだと、一箱¥1000くらいです。
生理日をコントロールできるし、生理痛も更に楽になるし、経血の量も少なくなり良いことづくめです。
(実際は排卵抑制しているので、厳密な意味では生理ではありません)
ただ、癒着痛にはあまり効果がないように感じます。
1年半ほど低用量ピルを続けたところ、癒着痛は以前より軽減しています。
私の場合、この痛みは生理が終わってから十日間ほども続きます。
この間、ロキソニンは欠かせません。
一ヶ月の三分の一はロキソニンを飲んでいる状態です。
体に良いとはいえませんが、それしか方法がないので仕方ないですね。
妊娠すると改善する可能性があるようですが、今のところその予定もないです。
最後に
手術を終えても、「癒着(器官どうしがくっつく)」による痛みが生じることがある
対症療法として、鎮痛剤の服用で効果がある(薬の種類による)
妊娠することで子宮内膜症が改善することが多い
妊娠の予定がない人は、低用量ピルで偽妊娠状態を作れる
以上はあくまで私の実体験に基づくものであり、手術を終えたすべての人に当てはまるとは限りません。
生活習慣病と違って、どんなに気をつけていても、自分ではどうしようもない事態になることもありますよね。
自分のせいじゃないのにと悲観したくなりますが、なっちゃったものはしょうがない。
あとはうまく付き合ってケアしていくだけです。
相性のいい先生が見つかるといいですね。