北アイルランドの数百年にわたる闘いを紐解いてわかったこと

私は来年アイルランドに留学予定なのですが、友人に話すときまって、

「えー、アイルランドってどこだっけ?」「アイスランド?」

などと聞かれます。

「イギリスの横だよ」と教えると、

「あ~(あの辺ね!)」

というくらい、日本での認知力はそんなに高くないお国です。

アイルランド事態は完全な独立国家ですが、北部の6州にかぎり、実はイギリス領なのです。

いま、イギリスがEUを離脱する事態を受け、一番密接にかかわるのはこのアイルランドではないでしょうか。

この記事では、なぜ北アイルランドがイギリス領となっているのか、わかりやすくまとめてみました。

 

本記事のポイント

北アイルランド問題は1921年の『英愛条約』に始まるが、その根源は数百年前にもさかのぼるほど根深い

1998年の『ベルファスト合意』という和平条約によって、北アイルランドにおける紛争に終止符が打たれた

 

北アイルランドの数百年にわたる闘いを紐解いてわかったこと

ケルト人vsヴァイキングvsアングロ・ノルマンの民族紛争

ケルトと聞くと、真っ先にケルト神話を思い出します。

このケルトの舞台はアイルランドでした。

ケルト人はもともと統一国家を持たない集団だったこともあり、9~11世紀にはノルマン人(ヴァイキング)による侵攻をたびたび許してしまいます。

 

ノルマン人、アングロ・ノルマン人、アングロ・サクソン人は名前こそ似ていますが全然別ものです。

  • ノルマン人は俗にいうヴァイキングで、スカンジナビア系の民族のこと
  • アングロ・ノルマン人は、フランス・ノルマンディーの貴族がイングランドの王位に就いたことから、その時代『ノルマン朝』にアイルランドへ侵入した人々の総称
  • アングロ・サクソンは現在のデンマークやドイツあたりの部族で、5世紀ごろローマの支配が終わったブリテン島に移住してきた、現在のイギリスの素となる人

 

ヴァイキングのアイルランド支配は永続的ではなかったものの、隣国イングランド王ヘンリー2世は、次第に国家としての力を持ち始めたアイルランドに対して焦りを感じ始めます。

ヘンリー2世はアイルランドへ侵攻、領有権を主張し、当時さきにアイルランドへ移住していた自国民(アングロ・サクソン)の土地を服従させていきました。

その後12~13世紀にかけてイギリスの支配が強まりましたが、ケルト人も黙ってはいません。

14世紀にはイングランドで百年戦争や薔薇戦争が起き、国力が衰えると一気に巻き返してその影響下から脱したのです。

1世紀は100年。

力関係の天秤がヴァイキングに行ったりイングランドに行ったりアイルランドへ戻ったりするだけで、実に500年以上かかっているわけです。

カトリック(愛)vsプロテスタント(英)の構図へ

そもそもアイルランドへキリスト教カトリックが持ち込まれたのは5世紀ごろのことです。

アイルランドへ来た宣教師は聖パトリックと言い、ブリテン島からカトリックの 布教活動を行うためでした。

このときは宗教弾圧などではなく、ケルトの文化を尊重した共生に近い活動だったようです。

この聖パトリックは今でもアイルランドの守護聖人とされ、3月17日はセント・パトリックス・デー として国民の祝日になっています。

ちなみに、セント・パトリックス・デーは日本でもお祭り騒ぎになるみたいで、アイルランドのシンボルカラーの緑色の衣装に身を包んで、フェスティバルやパレードをするんだそうです。(これはおもしろそう)

 

ところが、このカトリック。

これがその後1500年にわたって、アイルランドとイギリスの根深い負の連鎖の火種となってしまうんです。

ヘンリー8世(エリザベス1世の父)の離婚問題から端を発したイングランドのカトリックからの分離は、自国の問題だけで終わりにはなりませんでした。

全カトリックを敵に回したイングランドと敬虔なカトリック国アイルランドとの間には、宗教戦争が勃発したのです。

17世紀半ば、イングランドの独裁者オリヴァー・クロムウェルは、反革命運動を抑える口実でアイルランドへの植民地的な侵略、大量虐殺を行いました。

こうしてアイルランドでもプロテスタントの支配が強化され、カトリックに対する弾圧がますます盛んになってしまうのでした。

アイルランドの北、アルスター地方にはプロテスタント寄りの人々が集まっており、これがのちに北部だけイギリスに併合される萌芽といえます。

 

フランス革命の影響にイギリス議会、焦る

1789年にあのフランス革命が勃発すると、アイルランド国内でも独立の機運が高まりました。

イングランドとしては支配下にあるアイルランドが、自分たちとは仲の悪いフランスに傾倒していくことで革命の波及を恐れたわけです。

その解決策とはカトリックに対して行ってきた様々な規制を緩和するというものでした。

しかしそこはアメとムチ。

1801年、ついにグレートブリテンおよびアイルランド連合王国として、イギリスと併合されてしまいます。

 

ジャガイモ飢饉とアイルランド語の衰退

19世紀半ば、主食であるジャガイモの疫病と不作が大流行し、大飢饉に陥ったアイルランド人は次々と餓死や病死していきました。

当時800万人以上いた人口は、100万人が死に、100万人以上が海外へ移民とし逃れた結果、その後半世紀の間に約半分の400万人となってしまったのです。

アイルランド小作農地を抱えていたイギリスは何をやっていたんでしょうか?

じつは不作に陥ったのはジャガイモだけでした

それ以外の農作物は普通に育ったため、それらを小作人に回すのでなく、相変わらず納めさせ続けていたのです。

これはいまでもイギリスの犯した大きな過ち、黒歴史として語り継がれているそうです。

人口が激減したアイルランドでは、アイルランド語(ゲール語)の使用が減少し、2002年現在では約41%が話せるにとどまっているようです。

アイルランド独立戦争から英愛条約の締結へ

アイルランド人は何度も独立に向けた反乱を起こします。

第一次世界大戦後の1919年~21年にかけて、アイルランドでは独立戦争が勃発します。

イギリス議会は休戦協定を受け入れ、英愛条約』を結ぶことで『アイルランド自由国』を認めることになりました。

ただし!

北部6州は除いてです。

ここにはプロテスタント(イギリスからの移民やカトリックからの改宗)が多く住み、これを一つにすることはできないというのが理由です。

プロテスタントとカトリックのいさかいは最後まで終わることがなかったのです。

 

アイルランド共和国成立と過激派集団による内戦状態

1949年には現在のアイルランド共和国が成立し、正確に独立国家となりました。

しかし…

南北が完全に分裂したことで今度は内戦が勃発、また北アイルランドとの対立が深刻化し、武闘派集団も現れるようになりました。

20世紀半ばには、北アイルランドのアイルランドへの併合を求める過激派集団は、文字通り南北の統一を目的として、イギリスをも巻き込んでテロ行為を繰り返しました。

これが数十年にもわたって続きます。

1990年代になってようやく和平への道筋が見えてきました。

1994年にはテロ組織になり果てていたアイルランド共和軍(IRA)は停戦を発表しました。

1998年4月10日のベルファスト合意 、ついに

国民投票により、アイルランドは北アイルランドを放棄することが賛成多数で可決されました。

これが『ベルファスト合意』です。

世界の歴史的にも類を見ない、長年の敵対国が平和的に和解するという、極めてまれな例でした。

2011年にはエリザベス女王がイギリス君主として100年ぶりにアイルランドを訪問したことで、両国の歴史的和解が改めて明確になりました。

まとめ

ちゃんと調べるまで、アイルランドがこれほどまで侵略を繰り返され、虐げられていたか知りませんでした。

両国の溝は大変深く、民族だけでなく宗教も絡んだ紛争が繰り返されてきたこともあって、簡単に説明することは難しいと思います。

これだけのテロ行為の舞台になったにもかかわらず、平和的に民族紛争が解決していることは、他の地域の例を見てもまれなことなんだなと実感がわきます。

これだけの支配や迫害にあっても、数百年の時を経て和解への道をたどれたことは、世界のあらゆる国への貴重な見本となることでしょう。

アイルランドでは本来カトリックには許されない、同性愛や避妊、離婚も認められているそうです。

長く傷ついた歴史を持ちながらも、新しい自由な思想の国に生まれ変われるということは、本当に素晴らしいことではないでしょうか。

イギリスがEUを離脱することで、どのような影響があるのか、しっかりと耳を傾けたいと思います。

 

 

最新情報をチェックしよう!