毒親じゃなかったはずなのに、なぜ私はアダルトチルドレンになってしまったんだろう?
アダルトチルドレンはとかく自分を責めがちです。
いつも自己処罰をしている。自分に厳しすぎるほど厳しい。
日々の生活に疲れ果ててしまうほど、責任を負いやすい性格をしている。
アダルトチルドレンになってしまったのも「自分のせい」と思っている可能性が高いです。
あなたはどうですか?
もしそう思っているならはっきりと言いたいことがあります。
悪いのは親だったんだよ
なにも大人になって、いいトシになって親を責めろといっているわけじゃありません。
あなたは何も悪くなかったんだ、ということを認識してほしいんです。
そう思えたら、肩の荷がフッと落ちるような感覚になれるんですよ。
アダルトチルドレンになるのはあなたのせいじゃない
アダルトチルドレンはある種ゆがんだ親子関係のせいでなってしまうことが多い。
「歪み(ゆがみ、ひずみ)」の程度は人それぞれ。少しゆがんでいても平気な人や少しのゆがみで深い傷を負ってしまうこともある。
いわゆる「毒親」じゃなかった私の親の場合
私は3人きょうだいの長女。16歳で両親が離婚してから母と新しいパートナーと一緒に新生活をスタートさせました。
のちに義父となる母のパートナーは優しくていい人で、今も良好な関係を築いています。
母は3人の子どもを育てるため必死に働いて、安月給でもきちんとおこずかいをくれて、休日は家族でいろいろな場所に遊びに出かけてくれました。
「どこにアダルトチルドレンになる要素があるの? おカネがなくたって幸せそうじゃん」
そういわれてもおかしくないし、自分でもそう思う。
でも私はアダルトチルドレンだったんです。
これには母との関係だけでなく、父と父方の祖父母との関係にも原因がありました。
私は、母に愛情を注がれ苦労をかけるほど自分を責めました。
「こんなことではいけない、これ以上面倒をかけさせる子供でいてはいけない」
社会人になるとその母から、
「家が欲しいなあ。二世帯で家を買おうよ」
と打ち明けられました。
もちろん、母はずっと働きどおし。義父は個人事務所の建築士でしたが収入は安定していません。
まだまだ先とはいえ、定年後まで賃貸物件に住み続けるのに不安があったんだと思います。
私は苦労して育ててもらった母に「家を買って安心させてあげたい」と義務のように思い始めました。
アダルトチルドレンは承認欲求が強い。
この「安心させてあげたい」というのも、「懸命に働いて母親に家を買ってあげた、けなげな頑張り屋」になりたかったんだと分析しています。
だって本当は早く独立したかったから。
頭金として100万円貯めるなら、自分のために使いたかったから。
この「母への裏切り」と「母への愛情」がせめぎ合って、出した答えは「一人暮らししても毎月実家に数万円仕送りする」こと。
私は一人暮らしを始めてから3年ほど、毎月2万円を実家に振り込んでいました。
そのうえ、5年以上ものあいだ、母と弟妹の携帯電話代も自分の口座から引き落としして(家族でまとめると安くなったから)、あとで各々から回収するという方法を取っていました。
ところが毎月、正確に回収することが難しもの(忘れてしまったり、メールしても振り込んでくれなかったり)。
なにかにつけて、私一人が(義父を除く)家族3人を背負っている…そんな構図でした。
少なくとも私にはそう感じられた。
頼られることで満足する反面、なにか深い喪失感のようなものを常に抱えていました。
毒親じゃなくても「その親のせいでアダルトチルドレンになった」には違いない
母は21歳で私を産み、37歳で離婚しました。いろいろ大変だったことと思います。
3人の子どもたちの親権をとられまいを必死でした。
でも、
母は「頼りになる16歳の娘」を一緒に家庭裁判所に連れて行くべきではなかった。
私を味方につけたいばかりに、父親や父方の祖父母の悪口を吹き込むべきではなかった。
私に自分を背負わせようとするべきではなかった。
母親には感謝しているし、もちろん深い愛情もあります。
が私が子どもらしく生きられなかったのは、間違いなく母が理由です。
悪気がなかったにせよ、私をコントロールしようとしていたのはほかならぬ母です。
「アダルトチルドレンになったのは私に何か足りないせいじゃなかった」
「お母さんのせいだったんだ」
この事実を認識することで、自分をしつように責めることから解放され、心の重荷が軽くなったことを実感できました。
どこに責任の所在があるかをしっかりと線引きするべき
私がいいたいことはひとつ。
「親が悪いと認めること」=「親を愛していないということ」ではありません。
親から受けた愛情、恩返ししたいというきもちは嘘ではないはず。
愛情があるかないかではなくて、しっかりと線引きをしなければダメということです。
責任の所在がどこにあるか?
少なくとも、あなたにはまったくありません。
あなたは家族を守るためにそうするしかなかった。
でも、じゃあなんでこんなアダルトチルドレンになってしまったんだろう、なんでこんなに生き苦しいんだろう。
いったい私が何の罪を犯して、こんなに苦しむことになったんだろう…
もっと回避できる方法があったんじゃないか…
はい、もう一度いいます。
「それはあなたのせいじゃなくて、誤った家庭環境(親、祖父母、きょうだい関係)のせいだったんです」
「あなたには選択の余地がなかった」
そのことに気づいてくださいね。
自分だってボロボロなのに、なんでも背負い込んで縁の下の力持ちみたいにがんばってしまうあなた。
自分と他者との境界があいまいで、他人の責任まで背負いこんでしまうのはアダルトチルドレンの特徴です。
ここにきっちり区切り線を引くべきです。
さあ何度でもいいますからね。
あなたがアダルトチルドレンになるには理由があって、その原因はあなたにはないということ。
自分のきもちを親に伝える必要があるかどうか
長年の苦しみを経て、ようやく前を向いて歩けるようになったところで、親には自分のきもちを伝えるべきでしょうか?
もし伝える場合、やってはいけないことがあります。
それは、「謝ってもらいたくて伝える」こと。
つまり、あなたの希望する反応を期待して(反応の見返りを求めて)伝えることです。
「自分がどんなに苦しかったか、わかってほしくて伝える」こともしかり。
これは無意味です。
なかにはあなたの苦しみをわかってくれて、謝ってくれる人もいることでしょう。
でも、あなたの苦悩をわかるかどうか、聞いたうえで謝罪するかどうかはその人しだい。
「他人に○○させる」(わからせる、謝らせる)ことは不可能なんです。
なぜなら自分以外をコントロールすることはだれにもできないから。
なので、もし親に伝えるならこうすべきです。
「わかってもらえなくても、逆恨みされても、傷つけてしまったとしても、ただ伝えたいから伝える」
親からの反応がなんであれ、一方通行でかまいません。
「あなたがただやりたい(伝えたい)ことをやる」だけでいいんです。
話すことで悲しませたり傷つけることになったとしても、自分のしたいことだけする。
「話したらきっと悲しませるかな…」と反応の予測はしてもかまいませんが、反応の見返りを求めてはいけません。
まとめ:そろそろ自分を責めることをやめましょうよ
あまりに自分を責めすぎると、ときどき自分が悲劇のヒロインになったみたいに感じることがあります。
自己陶酔というより、俯瞰(ふかん)で自分を見ているような感じ。
俯瞰で自分を見るというのは、自分を責めて嘆き苦しんでいる自分自身を、少し離れたところから第二の自分が冷静に観察している、そんな感じです。
でも、「もしかして私は悪くなかったかも」と気づいたら、この分離するような感覚がなくなりました。
アダルトチルドレンを克服する一歩にすぎませんが、自分のなかに悲劇のヒロインを感じたら、少し冷静になってよく考えてみてください。
あなたは悪くなかった。
そうするしかなかった。
過去は変えられない。
じゃあこれからどうする?
私がたどり着いた答えがすべてこの本に書いてありました。憑き物が落ちるような一冊です。
私は自分のがアダルトチルドレンであると認識したとき、それがいったいどういうものでどうやって克服するものなのか、ネットで調べまくったり関連書籍を読みあさったりしました。 そこでどの本にも書いてあるのが、 「ありのままの自分でいること」 […]