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自分が共依存を克服できたか?進行形で検証中

いったい何をもって「アダルトチルドレンを克服できた」とするか?

これはあなた以外だれが決めることでもないし、あなた以外だれにもわからないというのがほんとのところです。

 

私は過去にアダルトチルドレンの特徴のひとつである「共依存」に苦しんできました。

(共依存についてはこちら【アダルトチルドレン】依存的な恋愛を終わらせたい!執着心を手放そう

『どんなに苦しくても別れるに別れられない』そんなゆがんだ関係。

それから数年を経た今の私は、あきらかに過去の私とは違う新しい自分を発見して、どんどん前進しているのを感じています。

アダルトチルドレンの「ゆがんだ考え方のクセ」は私のなかで確実に改善している。

しかし来年、現在のパートナーと遠距離になることがわかっているんです。

はたして私は「共依存」を脱却できているのかどうか? その審判を身をもって知ることになるのはもうすぐ。

 

共依存に苦しんだ経験があると慎重になる

共依存は百害あって一利なし、有害無益、一度おちいるとドラッグのように精神をむしばんでいきます。

私は「半身を裂かれるがごとくの悲鳴」をあげながらも、依存相手となんとか別れることができました。

(それまで相手が「別れさせてくれなかった」んじゃありません。私自身が「別れられなかった」んです)

 

それから数年がたち、新しいパートナーと出会えてからは、同じ過ちを繰り返さないようかなり慎重になりました。

特に気をつけたのは以下のことです。

一つ、必要以上に相手に過保護にならないこと、支配的にならないこと

一つ、相手からの「君が必要」という言葉を期待しないこと、その言葉をもらうために行動することはやめること

一つ、お互いに自分の時間もちゃんと作ること

 

一つ、必要以上に相手に過保護にならないこと、支配的にならないこと

共依存者(私)はとにかく世話焼きの過保護で、ああしろこうしろといちいちうるさい。

「この人は私がいないとダメなんだ」と思い込んでいて(「認知のゆがみ」)、とかく相手をコントロールしようとする。

 

これをやめるよう心掛けました。

以前の相手と別れた後も共依存やアダルトチルドレンについて自分なりに学習し、まるで強迫観念のようになっていた自分のクセを治すよう気をつけました。

 

私はもともとの性格として世話好きだったので、これが過剰にならないように、度を越えていないかどうかを常に自分に問いただしています。

 

一つ、相手からの「君が必要」という言葉を期待しないこと、その言葉をもらうために行動することはやめること

アダルトチルドレンの根底にある「承認欲求」です。他人から必要とされるためにすべての行動をとる。

自分が思っているような言葉を、愛情をくれなかったら、ひどく傷ついたり逆ギレのようにカッとなったり。

それもこれも「愛されるために愛する」から。

 

これもイチから考え方を改めました。

「これをしてあげたら喜ぶだろうな」と思うからする。「これをしてあげたら喜ぶだろうな、そしてもっと私を好きなるだろうな」とは思わないこと。

そして結果的に相手が喜ばなくても、気にしないこと。もちろん怒るなんて論外。

私はしたいからしただけで、喜ぶかどうか(その上私をもっと好きなるかどうか)は相手の自由だからです。

 

一つ、お互いに自分の時間もちゃんと作ること

友達より彼がすべて。友達との予定が入っていても、彼との約束が最優先。

彼が自分の友達と遊ぶこともイラつく、不安になる。彼にも私を最優先してほしい。

 

これも改めました。改めるというより、相手に対する支配欲や承認欲求がなくなり、不安感が解放されることによって自然と考えることがなくなりました。

相手が自分の友達と遊んで楽しければそれで私もうれしいし、私が自分の友達と遊んでも彼はいなくなったりしないと「わかって」いるので、不安になることもありません。

今はお互いが自分のために使う時間が必要であると認識しています。

 

 以前は相手と離れることすらできなかった共依存関係—現在は?

私は来年、仕事を辞めてヨーロッパに留学をするんですが、彼も新しい仕事のためにヨーロッパへ行く予定です。

離れても関係を続ける話はしており、いわゆる遠距離恋愛というやつになると。

私は人生で「相手と離れられない恋愛」しかしたことがないので、遠距離恋愛がどういうものか見当もつきません。

遠距離になったら別れてしまうものなんでしょうか。

遠距離でも関係を続けたいと思うのは、「執着心」からなんでしょうか。

遠距離になってしまう“その日”が、無性に怖くてたまらなくなるのは「依存心」から抜け出せていないから?

 

遠距離になったら別れてしまうかどうか。

これはなってみないとわかりません。でも、以前の私なら「別れてしまうかもしれないから怖くて遠距離など選択肢にもない」だったのはまちがいなし。(ってことはやっぱり前進してる?)

 

「執着心」は「相手の気持ちがどうであろうと相手をそばに置いておきたい気持ち」ともいえます。

遠距離で結果的に別れることになっても、私はそれを受け入れる覚悟はあります。

別れることで相手が幸せになるなら受け入れる。

そう思えることこそが「執着心」を手放せている証拠でもあるんじゃないかと自分では思います。

(できれば別れてほしくはないし、想像しただけで悲しくて怖いですが)

 

遠距離になってしまう、物理的に距離が遠ざかってしまう「怖さ、寂しさ」が依存心によるものなのか、実はまったくわかりません。

だれでもある感傷なのか、それともアダルトチルドレンを克服できていないことによる恐怖心なのか。

こればっかりはその日を迎えてみないとわかりません。

ひとつ言えるのは、「きっと始まってしまったら何とかなるんだろう」という予感があるということ。

 

共依存を克服できたかどうかは「その日」を待つしかない

願わくば今感じている日々の不安は、大切な人との物理的な別れが近いせいだからでありますように。

私のゆがんだ認知が引き起こしているんじゃありませんように。

 

共依存の克服は私にとってアダルトチルドレン克服の最大の難関でもあります。

遠距離になる「その日」を過ぎても、私がありのままの私でいられれば、ようやく「共依存を克服できた」といえるかもしれません。

 

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