注目キーワード

【アドラー心理学】子どもを欲しいか決めるのは今の自分であって過去の出来事ではない

自分はアダルトチルドレンなので、子どもを持つことに自信がない

子どもが欲しいのかどうかもわからない

 

現在30代も折り返しを過ぎたわたくし。パートナーはいますが独身です。

幸い、一般的なご家庭のように結婚や子どもを持つことをうるさく言ってくる親もいなければ親戚もいない。

私自身子どもはきらいじゃないし、むしろ渇望した時期もありました。

渇望期を過ぎると今度は激しい無価値観に襲われ、「自分はもう子どもなんてとてもじゃないが欲しいなんて思えない、思ってはいけない」という考えに変化。

その後は「幸せな夫婦も結局は別れる。もし子どもを持っても同じ目に遭わせたくない」という理由から、結婚願望すら殺し続けてきました。

(私は両親の離婚からアダルトチルドレンになったので)

 

ところが!!

私が衝撃を受けた書籍『嫌われる勇気』(岸見一郎著 ダイヤモンド社)によると、過去がどうであったかは今の自分の選択と関係ないと(;゚Д゚)

 

過去の経験で現在の自分の言動が決まっているのではなく、過去の経験を「こう意味づけよう」と自分で決めている

なぜなら過去に同じ経験をした人がみんな同じようになるわけじゃないから

つまり私の場合、そんなに子供が欲しいわけじゃなかった言い訳のために過去を利用しているに過ぎないということ

 

 
目からウロコ!!
 
もし過去の出来事が今の自分を決めてしまうなら、親が離婚した人はみんなアダルトチルドレンになっているし、アダルトチルドレンの人はみんな子育てに自信がないことになってしまう。
(本来子育てに自信がないのはアダルトチルドレンかどうかは関係ないはず)

 

現在の自分の決定権は自分自身にある 過去がどうだったか関係ない

 

結婚や子供について 過去にとらわれて自分の意志がなかった時期

16歳で両親が離婚してから、私はつねに「自分は絶対に同じ過ちを繰り返したくない」と誓っていました。

すなわち、「結婚して、絶対に離婚しない家庭を作る」というものです。

べつに「将来の夢はお嫁さん」なんていう考えはありません。

うちは自営業で両親共働きだったし、自分は社会的に自立した女性でいたいと思っていました。

ただし若いうちに結婚して子供が欲しかったんです。親と同じように

 

子どもと「離婚しない家族」を渇望し、25歳であえなく挫折

父と母は21歳で結婚しており、2女1男をもうけていました。

それから16年後に離婚w

 

『恋愛依存症』(伊東明著  実業之日本社)のなかで、「再挑戦」という項目があります。

自分が欲しかったもの、失ったものを、自分自身がもう一度繰り返すことでそれを得ようとする行動のこと。

私の場合がまさにそれでした。

「大学は行きたいから21歳で子どもを産むのは無理。だから25歳までには二人くらい絶対に子どもが欲しい。それから最低16年以上は離婚せずに平和な家庭を築かなければ」

という考えを、25歳でその夢が破れるまで強迫観念のように思い詰めていました

親と同じように「若いうちに」、今と同じように「二人以上の子ども」を「産まなければ」という思いです。

この願いが叶えば、私が喪失してきた本来あるはずだった幸せを取り戻せると信じ込んでいたんです。

 

 
今思えばこんなことが現実にならなくてよかったと思ってます
 
自分を犠牲にしてボロボロになってまで尽くす対象を
子どもにシフトするだけだったかもしれないからね

自分はだれからも愛されないし、幸せな家庭など築く価値などないと思っていた ~30代前半

「25歳までに家庭を築かなければ!」という強迫観念は当時付き合っていた相手を圧迫し続け、結果的にフェードアウトされてしまいました。

まあ、自分の望みを叶えるための執念で付き合っていたようなものなので、相手が引くのは当たり前だし、私の方も愛情があったといえばウソになります。

強引に結婚なんかしなくてマジでよかったε-(´∀`*)ホッ

 

しかし「再挑戦」に失敗したことによって「生きる目的」を見失い、この後には自分への無価値観に苦しめられました。

子ども?

そんなの私にはもう無理だし、もうできない。

とにかく、もうむり、もうだめだ、終わった、という激しい挫折感です。

人を愛することなどできそうにないし、愛される価値もない。

もう子どもなんて自分には永遠にもつことはできない。

 

この時期は特につらかったです。

職場でも妊娠したとか、生まれたとか伝え聞くだけで首を絞められるような苦しみを味わいました。

電車の中で妊婦さんを見るたび、幼児を連れた人を見るたび、自分には到底届かない決して得られない幸せの見本を見せつけられているような気がして。

 

この状態。

アドラー心理学による「変わりたいといいつつ変わることを望んでいない自分が作り出した言い訳」でした。

課題に立ち向かう勇気がなく、課題を回避しようとして作り上げたウソなんです。

つまり、私は若いし、不妊でもないし、結婚も妊娠も適齢期だったから

義務とか強迫観とか、「再挑戦」しようとするのではなく、純粋に「子どもが欲しいな」と思えば持つことができたはずでした。

 

 

 
子どもを持たない(持てない)理由を自分の無価値さのせいにしていたんですね
 
ほんとに欲しかったわけじゃないと認めるのもこわかったのかも

 

家族に(他人に)尽くしまくって疲弊したことを言い訳にしていた ~30代半ば

それから苦しみの恋愛依存を経て自分の結婚願望についてこのように結論付けました。

「私はどんなに平和で幸せそうな夫婦でも離婚することを知っている」

「私はこれまで望むと望まざるとにかかわらず、魂がけずれるほど他人に尽くしてきた」

「もし結婚して子どもを作ったら私はまた、自分のすべてを犠牲にして尽くしてしまうだろう」

「そんなのはもう嫌だ。私には人に与えられるものなどもう何も残っていない」

 

いったいこの中で「ゆるがない事実」がどれだけあると思いますか?

それは、「誰でも離婚する可能性はあること」これだけです。

あとはすべて私自身のフィルターを通して見た主観だけ。

 

真実はこうなんです。

「親が離婚していたって自分が離婚するとは限らないから、結婚したければすればいい」

「アダルトチルドレンを克服できたなら、子どもに尽くしすぎてしまうことはないはずだ」

「人に与えられるものがもうないと決めているのは自分、ただ人に与えたくないだけ」

 

結論:結婚観や子どもについて、過去を切り離して考えたらこうなる

 

私はいま自分のためにやることがたくさんあるので、子どもができたら困る。

でも子どもがいたら人生を楽しめないわけじゃない。

年齢的な限界が近いのは事実なので、もし子どもが欲しかったら早く作ったほうがいい。

けど私はその選択をしない。

なぜなら私は子どもが欲しいから結婚するとか、結婚したいから相手を探すといった考えを持てないからだ。

 

両親が離婚したから子どもが欲しいとか、自分がアダルトチルドレンだから子どもはいらないとか、過去の理由をいっさい切り離した結論です。

自分の今の気持ちを素直に受け入れることで、なにかゆがみを感じていた思考が楽になりました。

いまでも妊娠した同僚や友人を見ると、「ああ、そういう選択肢のある人生も悪くないな」と思いますが、息ができないほどの苦しさ、みじめさを感じることはなくなりました。

いまは離婚を過度に恐れることはなく、むしろ「好き合っているなら結婚してもいいし、好きじゃなくなったら別れればいい」とさえ思っています。

また、パートナーへの愛情はあるので結婚へのあこがれが少しあることを認めています。

 

とにかく自分の行動を決めるのは今の自分だけ。

過去の経験が未来を決めるというなら、同じ経験をした人はみんな同じように行動するはず。

でもそうじゃありませんよね。

選択のカードはいつも自分自身が握っているんです。

 

 

最新情報をチェックしよう!