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アドラーの「課題の分離」が日常の何気ない緊張感を解いてくれる

困っている人が目の前にいるとき、助けたほうがいいか迷う時ってありませんか?

助けたほうがいいという声と、でも断られるかもしれないよ?と引き留める声が頭の中で行ったり来たり。

だれでも一度はそんな経験があるかもしれません。

 

こんなとき、取るべき行動はひとつ。

助けたいなら声をかけてみる。その結果、断られても怒られてもそれはあなたの問題じゃない。

 

 
良心と恥がせめぎ合っているときには、アドラーの「課題の分離」で考えてみよう!

 

アドラーの「課題の分離」とは?

課題の分離に関しては簡単にいうと、

「その行動を決めるのは最終的にだれなのか?」

ということ。

「その行動の結果として責任を負うのはだれなのか?」

とも言い換えられます。

 

ちなみにアドラーとは『アドラー心理学』を確立した100年前のオーストリアの心理学者です。

アドラー心理学については『嫌われる勇気』を読んでみてください。

 

課題の分離ができていない例はこんな感じ(↓)

朝の弱いあなたのパートナーは、あなたがいくら起こしてもなかなか起きない。

何十分もかけてようやく起こすことに成功、仕事にはぎりぎり遅刻寸前、毎朝この繰り返し。

あなたは彼が遅刻したら大変!と思い起してあげていますが、彼はすぐに起きないどころか無理やり起こされることに嫌気がさしているようす。

「せっかく起こしてあげているのに、なんで?」と、いらいら。二人の関係にひびが入るかも…

 

ポイントは、

「彼が遅刻して会社で大恥かく、立場が危うくなるなどは彼の問題である」

ということ。

あなたが、彼がそうならないようにしてあげる必要はないんです。

もし「朝が弱いから、起こしてあげなきゃ」と考え、アラーム代わりに起こしてあげるのはいいでしょう。

でもそれで起きるかどうかは彼が決めることであり、起きなかったことで責任を負うのも彼なんです。

 

こう考えると「せっかく起こしてあげてるのに」という感情がなぜ生まれるか、わかってきます。

「起こしてあげた」ことで「彼から感謝されたい」という承認欲求につながっちゃうんですね。

だから感謝されこそすれ、嫌がられるなんて思ってもみないこと。

思い通りの反応がなければ自分の誠意が踏みにじられた気がして、いい気はしないでしょう。

課題の分離ができていないと、こうして少しずつストレスをためて行ってしまうことになります。

 

 「それ、課題の分離ができていればよかったんだよ?」

電車で妊婦さんに席を譲るかどうか

なにかのニュースで見たんですが、ある投稿者が電車の中で目の前に立つ妊婦さんについてぼやいているんです。

その投稿者さんは、

妊婦さんに目の前に立たれたら、こちらがどんなに疲れていても席を変わらなきゃいけない。
でも、問題はそこじゃない。その妊婦さんが「けっこうです」と断った場合だ。
そのやりとりを聞いていた人たちは私が一度は席を譲ったことを知っているからいいが、後から乗ってきた人たちは知らないので、「あの人は妊婦に席も譲らないで座っている」と白い目で見られるのが嫌だ。

と、嘆いているんです。

その状況、痛いほどよくわかる…

だからもし、私がこの投稿者さんと同じ立場だったらと考えました。

 

ポイントは、

  • (しかたなしにも)席を譲る行動を起こした、ここまでが私の課題だということ。
  • その結果妊婦さんが断るのは妊婦さんの課題で、私には関係ないこと。
  • 後から乗ってきた人たちに白い目で見られるとしても、だれをどんな目で見るかはその人たちの課題であり、私には関係ないこと。
  • もし電車の急停車で妊婦さんが転んでけがをして、私を白い目で見ていた人たちに責められることがあっても、相手を責めるかどうか決めるのはその人次第で、私にどうこうできる問題じゃない。

 

そりゃ、実際にはそう簡単に気持ちの切り替えはできないけど、「席を譲ったことで感謝されたい、素直に譲られるべきだ」という承認欲求さえなければ、私、妊婦さん、白い目の人たち三者の関係はすごくシンプルなはずです。

 

白杖を持った人に手を貸すかどうか

白杖(はくじょう)とは視覚障がい者が持っている白い杖のこと。

見かけたことありますよね?

外見上、障害があるように見えないような人でも白杖を持っていることで「目が悪い」ことが誰でもわかるようになっています。

視覚障がい者の駅での転落事故は社会問題にもなっていますよね。全体の4割に転落経験があるそうです。

 

さて、これは知人Aの話。

駅構内でうろうろしている視覚障がい者がいたからさ、こっちも出勤前だけどほっとけなくて、「何番線に行きたいんですか?手伝いますよ」って声をかけたの。

そしたら、「手伝いなんかいらないよ!」って怒鳴られたんだよ。

腹立つよね~、出勤前にわざわざ声かけてやってんのにさ!

もう誰も助けたくなくなるわ!

と、いたくご立腹でした。

これ、やっぱりいい気はしません。とくに知人が話す通り、出勤前ってせわしない。

自分の限られた時間を割いて手助けしたのに、断られるだけじゃなく怒鳴られるなんて。

そりゃ人間不信にもなりますよね…

 

ではここで課題を分離してみましょう。

  • 知人Aの課題は「手伝いますよ」と声をかけたこと。ここまで。
  • 「助けはいらない」と断るのも怒鳴るのも、その視覚障がい者さんの課題。(不快だろうけど)Aは気にするべきじゃない
  • 「声をかけてあげたのだから、素直に従うべき。感謝するべき」という承認欲求を持たないこと。

 

「課題の分離」ができていれば、今回は最悪な気分になったとしても、また困っている人がいたら「声かけてみようかな」と思ってもいいんじゃないでしょうか。

 

まとめ:「課題の分離ができる」とは相手からどう思われようと気にしないということ

あくまで自分が何をしたいかだけが大事なことです。

それって自己チューと何が違うの?っておもいますが、全然違う。

自己中心的な人は自分のしたいことや価値観を相手に押し付ける人のこと。

相手の領域を侵しているので、分離できているわけじゃない。

 

相手の反応がどうであれ、自分がしたいことをしたらそれで終わりでいいんです。

課題が分離できていれば、世の中の人間関係がもっとシンプルになりますね。

私もつい、過干渉になりがちなことがあるので、ここのあたりはしっかり認識したいです。

 

 

 

 

 

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